東京の国分寺市は、国分寺跡が発掘されて残されるほどの、その名の通り古い町だ。
駅周辺の市街地は以前、そうした町にふさわしい店が並んでおり、よく訪ねたものだった。
バー、喫茶店、古本屋、中古レコード店、ライブハウス、雑貨店等々。
作家の椎名誠作「さらば国分寺書店のオババ」にある通り、駅前には老舗の古本屋があった。稀覯本も扱うなど、高くて買えないほどだったけれども。
村上春樹が作家としてデビューする前にジャズ喫茶を経営していたが、お店は駅の近くにあったそうだ。行ったことはないが、跡地は知っている。
昔から中央線文化という括りがあり、国分寺はその中心地のひとつであったことは間違いない。1990年代の前半にはよく馴染みのお店をハシゴしたものだった。
ブラジル音楽ばかりをかけるお店があって、「ジョアン・ジルベルトが日本に来ると言っている」という話を聞いた。業界人の話題になっていたようだ。
「あの人のことだから、気が変わると思うが」
1992年のことだった。
実際に初来日を果たしたのは、2003年だった。日本に行きたいと言ってから、
幾度も気が変わってようやく11年後に初来日となった。
駅舎が新しくなってから一変して、再開発の波が訪れて以来、少なくとも筆者にとっては面白みのない町になってしまった。
しかし、未だに贔屓にしているお店がある。
喫茶店「でんえん」。
文化人や芸能人にも愛されながら、今年で創業64年を迎える。
流れる音楽はほぼ100%クラシック。ごくたまに、南米の音楽が流れることもある。
店の壁には、洋画が飾ってある。
常連には、筋金入りのクラシック音楽ファン、芸大、美大のOBが多い。
1990年代には、毎週のように絵画の展覧会が催されていた。美大生やアマチュアやプロの卵の画家が自作を飾り、店番のような感じで椅子に腰掛けていた。
院生だった画家の卵の人とは何度も話して、作品も購入した。
2000年代の初めには、銀座の画廊で個展を開く際に招待状をいただいた。
今の世の中、芸大や美大で絵画を専攻しても卒業後には、生活できないそうだ。
ほんの0.1%の人たちを抜かして。
画廊の数も激減した。
そうした時代の流れもあり、展覧会が開かれることもなくなった。
まあ、そういう話はともかくとして、本題に移りたいと思う。
一昨年2019年と今年2021年に、この場所で展覧会を開いた。
とはいっても、筆者は絵を嗜むわけではない。
けれど、店主の新井さんは「最近、絵をお描きになった?」と時々、筆者に尋ねる。
いっそのこと画家を気取って、20数年にわたって収集した絵画等を飾ってもらった。
以上が2019年の展覧会の時の写真。
以下が今年の展覧会。
2019年の展覧会は、常連客の評判が良かった。目が肥えた人たちから評価されるのは嬉しいものだ。
一番高価な絵画は、最初の写真のもの。ところが、この絵はあまり評価されなかったという。
もっとも高評価だったのが、この「でんえん」の展覧会で購入した作品だった。美大OGで(当時)美術教師の人が描いたもので、純粋な洋画というよりも、ラウシェンバーグのような感じの油絵だ。
個人的にも一番気に入っている作品だったので、妙に納得した。
この絵画は、大手広告会社のディレクターが気に入り、作家本人に直接掛け合って、購入を決めかけたが、筆者の購入予約が優先されたという変わった経緯がある。まあ、写真を載せなかったけれど。
3枚目の山の絵は、贋作そのもの。
本物は、銀座の日動画廊クラスで取り扱うレベル。
日動画廊のオーナー夫人は、アンディ・ウォーホルが題材にして版画作品にしている。
あとで作品が本人から送られて来て、請求書が同封されて、とても驚かされたという話は有名だ。
それはともかく、本物だと信じていると、そういう風に見えてくるのは、本当に不思議だ。
4枚目の作品も思い出深い。
向かって右は、阿部中夫さんのデッサン。もう亡くなってしまったが、地元で活躍した画家で、一水会所属だったと思う。ご本人から購入した。お礼の手紙をいただいた。その後も展覧会を見に行ったことが懐かしい。
この間、店主の新井さんから、「また、展覧会をおやりにならないの」と聞かれた。
そのうち開催したいと思う。