00年の中盤にかけて、日本のカジュアル衣料業界の周辺で変化があったことは、カルチャー関連のメディアに詳しい。
雑誌「PEN」は、確か2006年だったと思うが、日本製のファッション衣料を特集した。
日本製のファッション衣料が、ヨーロッパの見本市で、品質の高さから評判を博していると書いてあった。
特に、日本の有名ショップブランドが作ったネルシャツを、ヨーロッパ人のバイヤーが微笑みながら、仕立ての具合を確かめることが珍しくなかった、と記してあった。それは、「良く分かっているじゃないか」という意味の微笑みだったという。
その年、つまり2006年に、ネペンテスの鈴木大器氏が、アメリカのカジュアルウェアの老舗であるウールリッチのディレクターに起用された(この契約は2010年まで続いた)。
海外に話題を移そう。
同じころ、アメリカでカジュアル衣料業界にたずさわっていた、スウェーデン人の若者が、母国でアメリカの古着を販売する店を出したところ、スウェーデンの若者たちの列が出来たらしい(同じくPENの情報)。
2000年前後から、ハリウッドスターたちの間で、「ビンテージ」の衣料が流行し始めたことも記憶に新しい。
ハリウッド映画といえば、ミッキー・ローク主演の「レスラー」では、ミッキー・ローク演じる主人公が愛娘の誕生日に贈るプレゼントとして、「ビンテージクローズ」を扱う店に行って、古着のPコートなどを購入するシーンがあった。
そして、直近の話題でいえば、ニューヨークタイムズ紙によって、ファッションデザイナーのラルフ・ローレンがインスパイアを受けている媒体として雑誌「Free&Easy」を取り上げていた。
e-bayでは、60年代に作られた古着の霜降りのスウエットシャツに60ドルもの値段が付けられている。
とりとめのない話題を、羅列したようにみえるが、私にはそれぞれに深い意味を探ることができる。
そのためには、日本のカジュアルウェアの黄金期が始まった1970年代まで遡る必要がある。
平凡出版(現・マガジンハウス)が雑誌「ポパイ」を発行したのが1976年だった。ポパイは西海岸をテーマにしていた。ほぼ同時期に、雑誌「メンズクラブ」がアメリカ東海岸の洋服を取り上げ始めた。
両方とも、クラスメイトから教えられて興味を持った。私は中学2年生にして、アメリカカジュアルファッションの洗礼を受けた。
すべてが生まれて始めて見る品物ばかりだった。
ナイキ、コンバース、ジャックパーセル、トップサイダー、レッドウィング、リーバイス、リー、ウールリッチ、シエラデザイン、パタゴニア、LLビーン、コロンビアデザイン、オービス、アバークロンビー&フィッチなど、多くの輸入商品が紹介された。
といっても、身に付けている人に町で出くわすことは、皆無だった。それだけ珍しく高価だったからだ。
VANジャケットが純国産の東海岸クロージングとすると、1970~80年代は、両海岸を網羅した輸入物の時代だったと言えよう。
モード系のファッションと、アメリカ衣料が厳密に区別されている時代だったという点において、現在の状況とは事情が異なる。現代は、境界線があいまいで、相互に越境しているような感じを受ける。
最近知ったことだが、この当時のアメリカ衣料の日本進出には、アメリカの商務省が後ろ盾になっていたそうだ。
映画やテレビドラマ、音楽、食べ物、文学...
幼少時からアメリカ文化に囲まれていたという意味においては、アメリカの占領政策の申し子のひとりとして育った。
それはともかく、ヘビーデューティーという言葉を使ったのが、ポパイだったのか、メンズクラブだったのか、記憶が定かではない(確か、ポパイは当初「ラッギドルック」という紹介をしていたような記憶がある)。
ほかには、プレップスクールの学生の服装を取り入れた、プレッピールックというものも紹介された。アイビーリーグの服装の評判の高さは、VANジャケット以来続いていた。
服装だけではなく、ジョギングやクリケットなどのスポーツも含めて、アメリカのある階層(つまりミドルクラス以上)のカルチャーを網羅した取り上げられ方だった。メンズクラブでは、東大卒でハーバード大学講師を務めていた板坂元氏がエッセイを綴っていた。
LLビーンのハンティングジャケットは、ヘミングウェイが着用していたという文脈で、あるいはまた、ヘンリーフォンダ主演の「黄昏」で、ヘンリーフォンダが着用していたことも強調されていた。
つまり、単なるファッション衣料という括りでは捉えられない性格を持ったものとして紹介された。
一連のアメリカ衣料のムーブメントは、1980年代に入ると、「日本で流行しているアイビールックは滑稽だ」という批判まで、あるアメリカの新聞紙上に出るほどの盛況となった。