ジレッタント 彷徨と喜憂

物見遊山が好きです

Lyle Maysが遺したもの

2回連続で音楽のことを書きたいと思う。

 

 

以前から書きたかったことだったが、もう片方で手掛けている音楽ブログは、インディペンデントに焦点を当てているので、正直なところ書きづらかった。

 

よくよく考えると、このブログに書くのは相応しいと思う。

 

 

 

 

2020年の早春だっただろうか。

 

 

地元の行きつけのコーヒーショップで、常連さんが

パット・メセニーが亡くなった」と言っていた。

 

 

 

驚いて帰り道にスマホで調べると、パット・メセニーの音楽パートナーの

ライル・メイズが亡くなったということだった。

 

とてもショックだった。

 

 

最初に聴いたのが、1983年のパット・メセニー・グループのライブ盤

「トラベル」だった。

 

 

 

 

このアルバムを、過去に聴いた音楽の中に、どのように位置付けるか戸惑いがあった。どの音楽とも違っていたからだった。もちろん、あとでフュージョンと呼ばれる音楽とも違っていた。

 

 

ほぼ40年経った今でも聴き続けるほど、変わらない輝きを保っている。本当に永続性がある音楽だ。

 

 

ライル・メイズは学究肌の音楽家だと思う。

 

 

 

残念ながら、彼が説いたセオリー等は筆者には理解できないが、ある年齢以上の、アカデミックな教育を受けたピアニストの多くが彼のハーモニーから大きな影響を受けている。

 

 

時々耳にするピアノの音に「ああ、これはライル・メイズ」と思うことが良くあった。

 

 

いずれのピアニストも芸大卒や音大卒だった。

 

 

 

彼は白人の上質な音楽を体現していた。

 

このため、4ビートよりも、16ビートで本領を発揮したと思う。

 

 

 

速く(速引きではない)、長いパッセージは本当に独特だった。マイナーコードの楽曲から溢れ出てくる美しい旋律に浸る時間は至高のひとときだ。

 

 

 

彼は、ビルエバンスもポール・ブレイも、キース・ジャレットも聴いていた。

 

 

 

1993年にリリースされた、ソロアルバムのFictionaryの1曲目のタイトルは、Bill Evans

 

 

 

Blue in greenのコード進行に倣うパートが目立つ。

 

 

 

ライル・メイズは、Blue in greenの作曲者は他でもないBill Evansと宣言したのだと思う。

 

 

パット・メセニーとの共作アルバムでは、September 15thという曲を披露している。

9月15日は、Bill Evansの命日だ。

 

 

youtu.be

 

 

パット・メセニーの当時のマネジャーがユダヤ系だったこともあり、

メディア露出は不得手ではなかった。

 

 

 

 

キャリア初の主役を射止めた、弱冠30歳のケヴィン・コスナーは、すでに大器の片鱗を表している。

 

 

 

streamable.com