大貫妙子が「cliche」を出した1982年、私はまだ18歳だった。
レコードしかなかったときで、1000回くらい聴いたほどの愛聴盤だった。
なかでも好きだった曲が、「風の道」と「夏色の服」だった。
とにかく大貫妙子の歌声は素晴らしかった。
今でもときどき聴くほど、clicheは陳腐化しない力を持っている。
両方の曲とも、フランス人の著名音楽家である、Jean Musyがアレンジしている。この静謐で、叙情的なアレンジは当時のポップス、いや現代でも傑出した出来栄えだ。クラッシック的な素養に加え、フランスのフォークロア音楽などの要素を吸収していないと、不可能なアレンジだと思う。
A面が東京録音でB面がパリ録音。
東京録音は坂本龍一が担当していた。当時の坂本龍一については、70年代からすでに、キリンやYMOの1stアルバムで注目していた。
だから、坂本龍一が、「風の道」と「夏色の服」をアレンジしたらどうなるだろうか、ということを1982年以来、ずっと考えていた。
このCDには、その2曲が収められていた。
Jean Musyの「夏色の服」は、ピアノのピアニッシモから始まり、消え入りそうな、とても情感の溢れた繊細な導入から入る。それに続くストリングスの叙情的な楽想が、ドラマチックで、起伏に富んだ展開だ。
新録のUTAUは、坂本龍一のピアノ伴奏だけだ。
Musyのマッシブなアレンジを排するかのように、淡々と演奏する。とてもシンプルだ。
ひとつの音を取ったら、音楽のすべてが崩れるような簡素さ。
最初は、何度も聴いたMusyのアレンジの豪華さが脳裏にあったので、正直なところ物足りなさを感じた。
けれども、聴けば聴くうちに、理解できるようになった伴奏。そういう簡素なピアノは、本当は演奏するのが難しいと思う。
あえて音数を減らして、多くを「弾かない」という行き方がある。世阿弥が言うところの「せぬことこそおもしろき(興味深い)也」を体現している。それは、もうひとつの曲である「風の道」にも感じることだ。
逆説的だが、われわれは、音楽から離れた音楽的な空間を想像することができるようになる。
大貫妙子の歌は、clicheの時よりも、はるかに深みを増している。
年老いたものではなく、「声」そのものが語る力を備えている。
「UTAU」の中の唄は、歌謡というよりも、楽器を使って演奏するのに適した曲が多い。
難解な曲を、さらりと歌う姿はとても魅力的だ。
恐らくは自発的なプロジェクトである、今回の取り組みは、近年の音楽界へのアンチテーゼとしてうつる。
吉田美奈子の才能を損ねかけた、所属レコード会社のavexが、このCDをリリースしたのは、極めて暗示的だ。
安易な続編などを制作しないように祈るばかりである。